正しいことをやり抜く勇気
杉原千畝とは
今ではIT、ICTで最先端をいくリトアニアですが、かつてはポーランド・リトアニア共和国という大国でした。
1795年「ポーランド分割」によりロシア帝国に併合されたものの、1918年にリトアニアとして独立を果たします。
第二次世界大戦中、ナチスドイツの占領下におかれたポーランドでは、ユダヤ人に対する「ホロコースト」(ユダヤ人の弾圧・虐殺)が行われます。
当時、日本の外交官としてリトアニアの日本国総領事館に赴任していた杉原千畝(すぎはら ちうね)は、ポーランドから逃れてきたユダヤ人難民に同情。
外務省の訓令に反して、自らの命を顧みず、日本通過のためのビザを発給します。
ビザの発給を受けた避難民はウラジオストクから船で福井県敦賀へ、その後、神戸港、横浜港から各国へ渡っていきました。
ソ連政府からの退去命令を無視し、1ヶ月で2000通ものビザを発給しまくったそうです。
会場の様子
撮影不可の展覧会。
写真のない記事であることをご容赦ください。
このブログで展覧会のイメージを知っていただき、現物は会場でぜひご覧いただきたいと思います。
会場に入り、薄暗い廊下を抜けると、突き当りに杉原千畝の年表。
ホールに入ると、幼い頃からの生い立ちが追える写真や説明文を読むことができます。
展示されているのは、
- 優秀な成績を讃える、幼い頃の賞状
- 早稲田大学時代の通知書
- 外務省の留学生としてハルビン日本総領事館で露文暗唱試験の評価を記した資料
など
一時帰国した杉原千畝は結婚。
その後、家族とともにアメリカ シアトル経由でヘルシンキに渡ります、もちろん、船で。
家族で豪華客席の旅です。
アメリカとヨーロッパを結ぶブレーメン号で、実際に使われていた食事メニューが展示されていました。
リトアニア日本総領事館での活動を解説するスペースでは、タイプライターを載せた机と本棚、椅子・・・執務室が再現されていました。
杉原千畝と外務省との、ビザ発給に関するやりとりが7枚の説明ボードで解説されています。
タイプライターで打たれた電報、手書きの手紙。
外務省とのやり取りに、杉原千畝の粘り強さを感じます。
発給されたビザは、特別展示。
光による変色を避けるために、照明を落とした部屋に展示されていました。
外務省退官後は進駐軍のPX、貿易会社、語学学校などに勤務したそうです。
転職活動時の履歴書、商社時代の名刺なんかも展示されてます。
携帯ボトル、ステッキ、双眼鏡などの愛用品などに続き、最後に展示されていたのは、杉原千畝がモデルとなった切手でした。
最後に
筆者は、杉原千畝についての知識が浅かったため、映画を観てから展覧会に行きました。
会場に足を運ぶ前に、このような映画とか、書籍などで予習しておくと、理解が深まり、感動が倍増すると思います。
「愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)
「我々が歴史から学ぶべきなのは、人々が歴史から学ばないという事実だ」(ウォーレン・バフェット)
忘れちゃいけないことってあります。
世代を超えて語られるべき事実。
本を読めばいいではないか、ネットで調べればいいではないか。
でも、展覧会などに足を運んで、実物を観て、真剣に観入っている人たちを見ると、何らかの刺激を受けます。
これからの将来を考えている人たち、10代の人たちに観てほしい、そんな展覧会でした。
8月といえば、終戦日の月でもあります。
大虐殺の歴史。
杉原千畝という人を知ったことで、平和とは何かを考える、よいきっかけになった気がします。
『杉原千畝展(命のビザに刻まれた想い)』
日本橋高島屋S.C. 本館8階ホールにて
2021年8月23日(月)まで
高島屋創業190周年 生誕120周年 杉原千畝展 命のビザに刻まれた想い